合計 : 5 件 最新順 ビュー順 목록형 앨범형 市内圏 船橋荘 重要民俗資料第5号 紹介 「船橋荘(ソンギョジャン)」は江原道江陵市雲亭洞に位置しており、江陵(カンヌン)地方の名門である「李乃番」が初めて暮らし始めてから代々子孫が住んでいる家で、現在重要民俗資料第5号に指定されている。「船橋荘」は、「悦話堂(ヨルファダン)」、「主棟」、「東側の離れ屋」、「活来亭(ファルレジョン)」などから構成されている。 観光ガイド 「船橋荘」は99間の典型的な士大夫の上流住宅で、個人所有の国家文化財として名声を受け継いでいる。現在、「船橋荘」は300年あまりの間原型が良く保存されてきた伝統家屋として評価されており、周辺の美しい自然と相まって、朝鮮時代の当時の家屋と文化を見せてくれる観光地として観光客に有名な場所でもある。 観光のヒント 「船橋荘」では、建物だけでなく朝鮮時代後期の住居生活と文化を研究できる。特に、船橋荘の外棟である「悦話堂」は、3段の長台石の上に建てられた楼閣形式の建物で、「龍飛御天歌」、「高麗史」などの数千冊の書物と絵が所蔵されており、非常に風情のある景観を作り出している。 「活来亭」は「船橋荘」の庭園に掘られた人工池の上に建てられたあずま屋で、「悦話堂」を建てた翌年に建てられたもので、すべての壁面が細箭門の分閤門(板の間と部屋の間にある門)となっており、部屋とマルを結ぶ廊下の隣に接客用の茶室がある。 キョンポ権 許筠・許蘭雪軒記念公園 江原道文化財資料第59号 紹介 江陵市草堂洞に位置している許筠・許蘭雪軒記念公園(ホギュン・ホナンソルホン・ギニョムゴンウォン)は朝鮮時代に書かれた最初のハングル小説 『洪吉童伝』(ホンギルトンジョン)の作家である許筠(ホギュン)と、最高の女流文人だと評価されている許蘭雪軒、この二人の兄妹を記念するために作られた文学公園である。内部は許筠・許蘭雪軒記念館、伝統茶体験場、緑地公園などの施設で構成されている。 観光ガイド この公園は許蘭雪軒生家、許筠・許蘭雪軒記念館、伝統茶体験館で構成されている。許蘭雪軒生家の門構えの家に入ると、家の外棟の前にある広庭が見え、その中に方形の母屋がある。母屋は2つの大門により主棟と外棟に分かれるが、その間に蔵があって内と外を区分している。 許筠・許蘭雪軒記念館は韓国伝統の瓦を載せた木造1階建ての建物である。四角い形の通路に沿って中に入ると案内デスクが見え、もう少し行くと主展示室と小展示室がある。 観光のヒント 許筠・許蘭雪軒記念公園は、朝鮮中期政治的・社会的な改革精神を志向し、韓国最初のハングル小説である 『洪吉童伝』を書いた許筠の革新的な思想を広く知らせるだけでなく、その妹である有名な女流詩人蘭雪軒許楚姫(ホ・チョヒ)の文化的な業績を称えるために作った場所である。 公園の中には許楚姫が生まれた場所である許蘭雪軒生家(ホナンソルホン・センガト)を始め、記念館、銅像、詩碑などがある。 生家の裏側に広がっている松林はとても素晴らしい休息の空間である。 家族ぐるみでヒーリングに来るにはちょうどいい場所であり、週末は鏡浦台(キョンポデ)や江陵(カンヌン)にある他の観光地に比べて訪れる人が多くないため、憩の場としてぴったりの安楽な場所である。 許筠・許蘭雪軒記念公園では毎年の春と秋に蛟山文化祭(キョサン・ムンファジェ)と蘭雪軒文化祭(ナンソルホン・ムンファジェ)などの行事が開かれている。特に、蘭雪軒文化祭の際は江陵市(カンヌンシ)の女性団体協議会が主管する蘭雪軒茶礼祭(ナンソルホン・ダレジェ)イベントが開かれ、多くの人から人気を集めている。 江陵市の名所のひとつに数えられるここは、たくさんの人が訪問して楽しめるのにちょうどいい場所である。温かいコーヒー1杯を手にし、許筠・許蘭雪軒公園の松林を散歩してみることをお勧めする。 キョンポ権 鏡浦台 側面が八字の形になっている入母屋造りの家 紹介 「鏡浦台(キョンポデ)」は江陵(カンヌン)を代表する名勝地のひとつで、江原道江陵市鏡浦路に位置しており、江原有形文化財第6号に指定されている。「鏡浦台」は高麗時代の文化が窺える楼閣であり、正面に6間、側面に6間、32の柱で構成されている。 観光ガイド 「鏡浦台」の周辺には「鏡浦海水浴場(キョンポ・ヘスヨクチャン)」と「鏡浦湖(キョンポホ)」などの観光地が位置しており、「鏡浦海水浴場」一帯には特に、年が変わる1月1日に多くの人が美しい日の出を見るために訪れるので、予め宿泊先を予約しておいたほうがいい。また、「鏡浦湖」と隣接している「草堂洞(チョダンドン)」の「草堂豆腐(チョダンドゥブ)」は江陵でしか味わえない食べ物であり、江陵を訪れる観光客には必ずお勧めする食べ物なので、是非とも味わってほしい。 観光のヒント 「鏡浦台」は高麗忠肅王13年に江原道按廉使だった「朴淑」が現在の「放海亭(パンヘジョン)」の裏側の山にあった「印月寺」の旧址に創建したと伝わっており、その後、現在の場所に移ったというが、詳しいことは明らかになっていない。「鏡浦台」には 栗谷・李珥が10歳の時に綴ったという 「鏡浦台賦」を始め、朝鮮「肅宗王」の「御製詩」、有名な文章家として知られている江陵府使「曺夏望」の「上樑文」など、数人の名流の文がある。ここで眺められる「鏡浦八景(キョンポ・パルギョン)」と「鏡浦月三(キョンポ・ウォルサム)」は昔から天下の壮観として知られている。 市内圏 江陵大都護府官衙(カンルン・デドホブグァンア) 現存する最古の客舎門に価値が非常に高い 紹介 高麗時代から朝鮮時代にかけて中央の官吏が江陵に来ると、とどまった建物跡である。朝鮮時代の記録を見ると、高麗の太祖19年(936)に建てられ、83間の建物があったが、今は客舍門(国宝第51号)だけが残っている。客舍門は高麗時代の建築物のうち、現在まで残っている数少ない建物の一つであり、恭愍王が書いた「臨瀛館(イミョングァン)」という看板がかかっている。 観光ガイド 1993年に江陵市庁(カンルン・シチョン)建物を建てる計画で施行した発掘調査した結果、高麗・朝鮮に至るまで官庁の性格の建物跡の研究に重要な資料を得られる跡であることを知った。また朝鮮時代『臨瀛誌(イミョンジ)』の記録を通じてこの遺跡の重要性と旧江陵府の歴史と文化を知らせてくれるという点でも重要な遺跡と評価されている。 観光のヒント 1993年に江陵市庁(カンルン・シチョン)建物を建てる計画で施行した発掘調査した結果、高麗・朝鮮に至るまで官庁の性格の建物跡の研究に重要な資料を得られる跡であることを知った。また朝鮮時代『臨瀛誌(イミョンジ)』の記録を通じてこの遺跡の重要性と旧江陵府の歴史と文化を知らせてくれるという点でも重要な遺跡と評価されている。 市内圏 臨瀛館三門 国宝第51号 紹介 江陵にある臨瀛館三門は、江原道江陵市龍江洞にある門のうちの一つで、1962年に国宝第51号に指定された江陵の誇りであり名所となった。昔の名称は「江陵客舎門」であったが、2010年4月から「臨瀛館三門」と呼ばれるようになった。臨瀛館三門は1階建ての切妻屋根で、3間2号の荘重な形式をもつ素晴らしい八角門だ。建立された年代は不明だが、その建築方式から朝鮮時代初期であると推定される。規模は小さいが、韓国の木造建築史上、優れた構造と美しさを備えた先祖から受け継がれた美しい遺産である。 観光ガイド 客舎は、その昔、中央から訪れる官吏や来賓を接待し宿とした施設を指すが、臨瀛館三門は、客舎の門の名前である。臨瀛館三門のある江陵の客車は、高麗太祖によって建てられた木造建築物で、重厚で趣のある美しさと繊細な腕前が高麗時代の代表的な建築物として認められ、国宝第51号に指定された。現在の懸板の文字は、恭愍王が洛山寺に向かう途中に立ち寄って書いた直筆である。客車の門は柱心包様式の建物で、その重厚美と巧みな構造は、韓国でその由来を見つけることが難しいくらいの建物だ。また、エンタシスの柱は、他の建物よりもひどく、全体的にみると非常に年月が過ぎた印象を与え、装飾画の傾向が強くないことが特徴である。修徳時の金堂よりも建築年代が先であると考えられる。現在は、客舎の門だけが残されている。お寺ではなく木造建築としてはこの客車が最も古い。 観光のヒント 江原道江陵市臨瀛館にある江陵臨瀛館三門は、江陵に訪れる来賓を接待した場所として、江陵市内からもほど近く、観光客が行きやすいところだ。また、隣には江陵大都護府官衙があり、ここにも立ち寄るとよい。江陵大都護府官衙は、高麗時代から朝鮮時代にかけて、中央の官吏たちが江陵に来ると宿にしていた建物で、官吏と官庁、客舎などを合わせると全313間規模になる江陵の行政中心空間であったが、日帝強占期に臨瀛館三門と七事堂を除く大部分が毀損した。現在はその址だけが残っているが、江陵の昔の華やかだった施設をとどめた場所であるため、訪れる価値がある。